カテゴリー「死生観」の26件の記事

2008年8月 5日 (火)

また八月五日がやってきた

 思い返せば前のオリンピックの年だったんだ。あの年のオリンピックのことはほとんど覚えていない。野球が負けたことくらいだ、覚えているのは。あの頃の僕は完全に抜け殻だった。

 あれから4年。僕はあの頃には想像できなかった人生を歩んでいる。この一年でも大きく変わった。

 結婚して、子どもが産まれて、平々凡々な幸せを掴んだ。それでもなお、Kのことを思うと心の奥底に大きな傷跡があるのを自覚する。

何故、Kは死ななくてはならなかったのか。僕にはKを救うことは出来なかったのか。

 この二つのことは永遠に答えがでないように思える。答えなどないのかもしれない。僕ができることは分かっている。冥福を祈ること、自分の人生を精一杯生きること。結局この二つしか、僕にはもうできることがない。

 最近、「誰でも良かった」と言って人を殺すどうしようもない人間が増えている。人を殺す前に、自分の人生を呪う前に、「大切な人を失う人の気持ちを考えろ」と言いたい。自分には大切な人がいないから分からない、というような奴は、人を殺す前にそういう人を見つければいい。それでも人を殺したかったら、自分の命を絶つがいい。

 Kよ、そっちの暮らしはどうだ?Sさんがそっちに行ったろう。もう会ったのか?僕はまだまだあと50年はそっちに行かない予定だ。子どもが一人前になって、ついでに孫の顔までみたいもんでな。そっちでの活躍、祈ってるよ。

 

以上!

| | コメント (6)

2008年2月25日 (月)

死んだ親友が初めて夢に出てきた日

 今朝はカミさんの破水で4時過ぎに起き、ドタバタと入院したわけだけど、陣痛室で転寝しているときに、ふと思い出した。

 昨日、5年前に交通事故で死んだ親友のHが夢に出てきたのである。高校生か大学生の時の設定だったように思う。当時のあいつのままだった。

 今の今まで、死んでから一回も夢に出てこなかったあいつは、僕が父親になるかもしれないという、新しい命が産まれるかもしれないと言う日の朝に、ようやく夢に出てきた。何を伝えようと出てきたのか。いずれにしても、なんだか嬉しかった。久しぶりに会えたんだから。

 カミさんのお産、見守ってくれよな。

以上!

| | コメント (0)

2008年1月15日 (火)

Kへ

 Kへ

 31歳の誕生日おめでとう!!もう嬉しくもない歳になったって感じ? 

 そっちでは元気でやっていますか?そっちの暮らしはどうなんだ?何せそっちからこっちに帰ってきた人がいないもんで、全くそっちの様子が分からんのだ。歳はとるわけ?

 こっちは元気にやっています。かみさんのお腹の子どもも今のところ順調に来ているよ。Kが生きていたなら、いろいろと子どものことも相談できたんだけどな。残念だ。そっちから見守っていてくれよな。

 Kがそっちに行ってから、早いものでもう3年半近く経ったんだな。いまだに、何か悪い夢を見てるんじゃないかって思うことあるよ。どうしてお前がそっちに行かなければならなかったのか、そう考えるといつも思考回路が無限ループになっちまう。

 今はこうして、お前の命日や誕生日に祈りを捧げることくらいしかできないけど、これだけは生涯続けて行きたいと思ってる。お前の無念さを、僕がこっちで精一杯天寿を全うすることで少しでも晴らしてやりたいと思ってる。守るものができたから、しばらくそっちには行けそうに無いけど、まぁ元気でやってください。ん?当分来なくていいって?あぁそうかい。まぁそうさしてもらうわ。

 じゃ、またな。

以上!

| | コメント (2)

2008年1月 9日 (水)

天国からの贈り物

 年明けから仕事が忙しい。毎日のように残業である。今日も朝からほとんどデスクを離れることなく、PCに向かって資料を作成していた。

 お昼過ぎ、来客があった。10月に亡くなった元上司の奥様だった。一しきり挨拶を済ませた後、

「ご結婚されたそうですね。おめでとうございます。実は夫がお祝いをお渡ししようと準備していたものが見つかりまして…。渡そうと思っているうちに具合が悪くなってしまって…」

 係長は、僕の結婚祝いを準備してくれていたのだった。ガンに侵されていなければ、僕の披露宴では「乾杯」を歌ってもらうはずだった。若い頃、バンドでならしたその歌声は、とても素人のそれではない。カラオケに行けばいつでも主役。みんなが係長の歌声に酔いしれた。そんな人が、最後は声帯を失った。訓練で声を出すことができるようになっていたというが、歌を歌うことはできなかった。

 僕の披露宴の日、係長は病に伏せていた。自分の事で大変なときに、僕へのお祝いを準備していてくれたのだった。なのに僕は、結婚式の報告すらしなかった。全くもって恩知らずな男だ。

 奥様が帰ってから、PCの画面が滲んでしまってしばらく仕事にならなかった。

 家に帰って、包みをあけると、今までに見たこともない中身のカタログギフトが入っていた。今まで見たどのカタログギフトよりも高そうだった。

 奥様に手紙を書こうと思う。係長との思い出と、ありったけの感謝を込めた手紙を。

 係長への感謝の気持ちと、ガン撲滅への想い。これを形にする方法を探しながら僕はこれから生きていく。

以上!

| | コメント (0)

2007年11月 9日 (金)

LIVE STRONG

LIVE STRONG
この世からガンがなくなりますように。

以上!

| | コメント (2)

2007年11月 3日 (土)

通夜

 元上司の通夜に行ってきた。こないだ書いたように、今まで全く泣いていなかったが、焼香の番になってこみ上げてくるものがあった。さすがに見知った奥さんもいたので号泣まではできなかったが、肩の震えを止めることはできなかった。

「本当にありがとうございました」

 と冥福を祈った。

 通夜振る舞いの席で、最近お見舞いにいった先輩から話を聴いた。最後まで仕事のことを気にしており、声帯を取ったが訓練でかなり声を出せるようになっていたと言う。ただ、ほんの少しでも身体を動かすのが本当に辛そうだったと言う。奥さんの話では、最後は安らかに眠るように息を引き取ったそうだ。

 別の先輩が言っていた。

「遺族には悪いが、俺は『もういい、よく頑張った。ゆっくり休んでくれ』と思ったよ。あいつは全力で生きた」

 そういう見方もあるかもしれない、と思った。ガンとの戦いは壮絶なものだったと思う。仕事の関係で、ガンで亡くなる方を何人か見てきたが、それは筆舌に尽くしがたいものだ。

 明日の告別式は馬友のGの結婚式があるので、参列できない。通夜振る舞いの後、最後まで残って顔を見させてもらった。またこみ上げてくるものがあった。穏やかな顔だった。

 本当に、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

以上!

| | コメント (0)

2007年11月 1日 (木)

覚悟ある死

 不思議なことに予感があった。昨夜、前の部署で同じだった先輩から携帯に不在着信があった。その先輩から電話をもらうことなど、異動してからは一回もない。もしかしたら…と思ったらやっぱりそうだった。前の部署で本当にお世話になった係長がガンで亡くなったのだ。

 僕が転職して最初の部署の係長。前の会社では本当にろくでもない上司ばっかりだったので、この係長にめぐり合えて本当に安心したのを覚えている。本当にお世話になった。いつでも僕の意見を尊重してくれ、僕が追い込まれたときにはいつも味方になってくれた。よく一緒に呑みに行き、いつもおごってくれた。二人で呑みに行ったとき、一度も僕はお金を払ったことがない。払わせてもらえなかったのだ。スナックで熱唱するカラオケが本当に上手だった。

 一度、どうしようもないほどベロベロに酔っ払い、タクシーでマンションまで送っていった。マンションのロビーで大の字になってしまった係長のポケットから鍵を探し出し、ロビーの鍵をあけ、肩をかついでエレベーターに乗り、部屋の前まで送り届けて、帰ろうとした瞬間、

「バーン!」

 とドアが開いて奥さんが鬼の形相で出てきたときは本当に驚いた。

 僕が入る前に舌癌になり、その後、3ヶ月に一度の通院で5年。もうすっかりガンの気配は消えていたはずだった。

 ところが、去年の一月、自分でリンパのしこりを発見。病院に行くと、即入院。手術となった。再発だった。

 今でも、僕はこれを病院の見逃しだと思っている。血液検査等で異常が発見できなかったあの病院は藪医者だ。すぐには手術できないほどの大きさにまでガンが大きくなっていたのだから。

 その後、喉に転移し、声帯を取り、あれほどカラオケが上手だった係長は声を失った。その後一度回復しかけ、今年の初め頃はたまに職場にも顔を出していた。

 僕が昇任試験に受かり、3月にお祝いといってランチをご馳走になったのが最後になった。その後、すぐにまた入院してしまった。そのときも本当につらそうにしていた。

 もっとお見舞いに行けばよかった…。結局、何も恩返しできなかった。

 最後は、本人も死を覚悟していたと聞く。僕自身も、あのランチの後の入院の話を聞いたときに、いつかはこういう日が来るのではと感じていた。ここ数ヶ月は、状態の悪さしか耳に入ってこなかったから尚更である。

 係長自身がそうであったように、僕自身も覚悟していた。

 本当に悲しいのだが、不思議と涙が出てこない。突然死んでしまった親友や、Kのときとは違う。悲しみの度合いはそれほど変わりがないのだが、不思議と涙が出てこないのである。覚悟のある死ということになる。もちろんそれでも悲しいことには何の変わりもないのだが。

 落ち込んでいる僕を見て嫁が言った。

「新しく産まれてくる命もあるよ」

 人間はいつでも前へ向いて進まなければならない。命を終えるその日まで。

 係長のご冥福を心から祈りたい。本当にありがとうございました。お世話になりました。

以上!

| | コメント (2)

2007年10月17日 (水)

携帯電話を機種変更した

 相当長いこと使っていた携帯電話を先日、ついに機種変更した。かれこれ3年半以上使っていた代物である。出た当時は、日本で初めてTVが見れるといったものだった。

 今回は、とりあえずやっぱりTVが見れるのがいいと思い、ワンセグが見れれば何でもいい、と店員に告げ、勧められるがままに911Tにした。

 ずっと機種変をしなかったのは、もはや特に携帯電話に何かを求めるような歳でもなくなったことと、電池がまだまだ使えたことが理由だ。

 そして、Kからのメールが残っていたことも無関係ではない。

 結局、彼女ができても、結婚しても、最後までKからのメールは消さなかった。いや、消せなかったというべきか。

 本当に、本当に機種変更の必要性を感じてこなかったのだが、その深層心理には、Kが生きていた痕跡が残っている携帯電話をいつまでも持っていたいと言う気持ちがあったのかもしれない。

 ただ、今回の機種変更を決めるときには、特に深く考えることもなかった。いつまでもLOVE定額で月にお互いが300円払うよりも、家族割がタダだし、ほとんど電話もかけないのでホワイトプランに変えようか、という簡単な気持ちだ。

 それでも、今までの僕の歴史からすれば、たかが機種変更だけれども大きなことだ。少なくとも、妻に携帯を見られても全く問題ない、という状態にはなった。また一歩、前に踏み出したということか。

 

以上!

| | コメント (0)

2007年8月15日 (水)

大腸注腸検査其の四 (結果判明)

 つーわけで先月25日の検査の結果がようやく来た。ずっと待っていたのだけど、ようやくである。職場の健康診断の二次なので人事課に送られてきていた。封筒を開けると書面が一枚。

「異常なし」

 と書いてあった。

 まぁ大丈夫だとは思っていたが、ホッとした。それにしても、これだけ?いや、異常がないのは結構なんだけど、何らかの原因で陽性反応がたまたま出たとかさ、そういう説明もないのかよ。

 ま、いっか。

以上!

| | コメント (2)

2007年8月 5日 (日)

三度目の命日

 八月五日は、毎年晴れてうだるような暑さである。少なくともここ四年はそうだ。Kが死んだあの日、一周忌、三回忌、そして今日。この暑さが否応無しに僕の記憶を呼び覚ます。

 結局、最後まで嫁はいい顔をしなかった。仕方ない。

「結婚したのに好きだった子のお墓参り(実際には実家に焼香)に行くなんて、妻に失礼だ」

 と。確かにそうだと思う。そして、心底申し訳ないとも思う。しかし…。

 駅に向かうバスの中で、今だに消せていないKからのメールを読み返した。

「古い携帯使ってんなぁ」

 友人達がよく言う台詞だ。

「いや、電池が新しいし(何故かソフトバンクからタダでもらった)、金もないし。もっとも、物欲もないしね」

 と、答える僕のこの言葉に嘘はない。嘘はないが、決して完璧な回答ではない。

 今でも、メールを読み返すと当時の情景が瞼に浮かんでくる。自分がどういう気持ちでメールを出したか、受け取ったか。

 電車の中では、考えれば考えるほど、悲しく暗い気持ちになるので、デイリースポーツで阪神の記事ばかり読んで、あえて考えないことにした。それでも、Kの実家に近づくにつれ、やはり気持ちが沈んでいった。

 もうこれないかもしれない…。いや、もうこれないだろう…と思った。

 一年ぶりに訪れたKの実家。去年と変わらずにご両親とお姉さんが迎えてくれた。お線香をあげて祈った。

「結婚したんだよ…。嫁のお腹には子どももいるんだ…。そして、もうここには来れないかもしれない。それでも、お前のことを決して忘れないから…」

 もっともっと、話をしたいことはあったのだが、いつまでも祈っているわけにはいかなかった。

 Kのご遺族は、明るくふるまっているものの、去年も感じたようにどこか暗い影が残っていたように思えた。

 墓をいろいろと探しているそうだが、都内にはなかなかいいところがなく、都営霊園も抽選で外れてばかりなのだという。

 墓ができたなら、こっそりと一人でお参りすることができる。嫁のことを考えると、それが得策だと思う。無論、こっそりそんなことをしていると嫁が知ったら大変なことになると思うが、それでも…と思う。しかし、死んでしまった人間よりも、生きている人間を大切にしなければならないだろう。それが現実だ。僕が今日していることは、感傷に浸った自己満足に過ぎないのかもしれない。嫁のことをもっと大切にしてやらねばならない。

 来年の8月5日、僕はどうしているのだろう。また新たな一年が始まる。あの日から僕の中での一年の始まりは1月1日ではなくなっているのかもしれない。

以上!

 

| | コメント (2)

2007年8月 4日 (土)

命日を前に

 明日はKの三回目の命日である。一人で実家を訪問し、帰りに涙にくれた一周忌。同僚たちと訪問し、その後デートに向かった三回忌。そして、明日、また同僚たちと実家に伺う。

 嫁は、やはりあまりいい顔をしてくれなかった。きっと嫌がると思った。しかし、拒否反応は僕の想像を超えていた。僕とKとのことは付き合う前に話をしていた。それでも、それを理解してもらうことは難しいようだ。

 考えてもみれば、それも当然なのかもしれないが。それでも、今日の嫁の言葉には心がズタボロにされた。

 今日は、来月の挙式のために結婚指輪を買いに行く約束をしていた。しかし…、明日がKの命日で、墓参り(まだ墓はないらしいから、実家に線香をあげにいくのだが)に行くという話しになったところ

「行くのはいいけどさ、吹っ切れていないのに私と結婚したんだ。明日が命日なの?だったら今週は指輪買わない。縁起が悪いし、気分悪い」

 「縁起が悪い」って何だよ。怒りを通り越して悲しかった。

 それでも嫁を責めることはできない。もうとっくに吹っ切れていたものと思っていたようだ。しかし、これは吹っ切れたとか吹っ切れないとか、そういう問題ではない。ただ、そういう問題ではないと思っているのは僕だけのようだ。嫁の気持ちも分からないでもない。死んだ人間にはかなわないのだから。後で言い過ぎたと思ったのか、僕の機嫌を伺っている様子があったが。

 嫁には本当に申し訳ないと思う。それでも、僕はKの生きてきたことを忘れることはできない。何故、Kが死んでしまったのかをいまだに理解できていない。赤信号を無視したあの男は、もう出所したことだろう。業務上過失致死、それも交通事故ならたいした罪にはならなかったはずだ。

 僕はまだ生きている。結婚もした。嫁のお腹には子どもまでいる。僕にはKがつかめなかった幸せを掴み、あの世で報告する義務があるのだ。一方で、当然、嫁を幸せにする義務もある。

 僕の人生に今後もずっとずっと、このことは関わってくるであろう。

 

以上!

| | コメント (3)

2007年7月25日 (水)

大腸注腸検査其の三 (下剤処方しすぎだろ)

 つーわけで行ってきました病院へ。まず朝7時に座薬をって指示だったんだけど、そんなもの入れる前から朝起き掛けにトイレへ2回。おいおい、これでまだ座薬を入れるのかよ、とネットで調べると案の定、この座薬も下剤。いや…すでにもう水ピーだし、アナルもふやけてきてるんですけど…。ってことで自己判断でこいつは使わないことにした。

 で、また寝たんだけど、トイレにさらに一度起きて、都合、昨夜から8回もトイレに。嫁には「ウンコマン」呼ばわりされるし。

 朝昼を抜いて仕事も休んで午後1時に病院へ。問診をさっと受けた後、検査着に着替えるのだが、このパジャマみたいな検査着は尻の部分が穴が開いているのです。上のシャツは丈が長いけど、この姿で院内を歩くのかよ…と思ったのもつかの間。検査室へすぐ直行。

 まずおばはん看護師に

「腸の動きを止める薬です」

 と肩に注射一本。たいして痛くない。その後

「お尻に管入れますよ~」

 と。アナルを人に見られる&何か挿入されるなんて学生時代に先輩に連れられていった性感マッサージ以来だよ。しかもぼったくられたorz

 無論、嫌だとも言えず、便意のようないやーな感覚。そっから男性の検査技師にかわるのだが、この人の声がボソボソしゃべるのでまぁ聞こえにくい。これがまたストレスだった。バリウムを注入されて

「便を我慢する感じで」

 と言われるんで括約筋を閉める。その後、

「いったん管抜いて次はガス入れます」

 と。で、その管を抜いた瞬間。水下痢を漏らしたような感覚が…。うわぁー!!と思ったが、技師が慌てる様子もなく、次はガスを入れられ、おならが溜まっているような感覚。それから胃のバリウム検査と同じ台で、いろんな方向へ体位を変えて撮影。括約筋をかなり使う。

 10分から15分くらいそういう状態で撮影しただろうか。終わるや否や冷えすぎだろ、っていうくらい冷えた「DAKARA」を渡され、

「いつでもいんですけど、なるべく早くこれを飲んでください。でもまずトイレに行ってバリウムを出してください。胃のバリウムと違ってすぐに出ますから」

 といわれ、トイレ直行。真っ白な液体が出る。最初に管を抜いたときに漏れたのもバリウムだと判明。水下痢お漏らしっていう屈辱的なものはなかった。

 そのご、着替えて15分安静にして解放。病院近くのステーキハウスでたらふく食った。

 結果は数日後。二度と受けたくない。

以上!

| | コメント (0)

2007年7月24日 (火)

大腸注腸検査其の二 (ただいまトイレ4回目)

 下剤がきついな…。8時にジュース状の下剤を服用。9時半過ぎに一回目のトイレ。10時に錠剤二つ。それからもうすでに3回トイレに。もうええんちゃうんか???

 つーわけで明日検査です。今朝はまずいレトルトお粥と味噌汁。昼はウイダーインゼリー的なものとゼリー菓子とかぼちゃ味?ビスケット。3時におやつ代わりにビスコを食べ(ウマー!)、7時にポテトスープを。で、下剤を飲んだ、と。

 明日は朝7時に座薬の下剤を二発。いるか?もういらんやろう?気が重い…。

 そうこうしてるうちにまた催してきました…。

以上!

| | コメント (0)

2007年7月23日 (月)

大腸注腸検査其の一

   健康というのは失わないとありがたみを感じないと言われる。本当にそうだ。5月に受けた職場の健康診断で、再検査項目があった。便潜血検査二日法で一日目が陽性だったのである。正直驚いた。なんでも、この検査には前日食べた肉や魚の血にも反応することがあるらしく、その前日は両家顔合わせで刺身をたらふく食べたので、それかな?とも思ったが、病気の可能性もあるわけだ。ポリープなのか、大腸がんという可能性もある。

 再検査通告を受けてから、僕はまた「死」というものを考えざるを得なかった。親友やKが死んだ後は、自殺以外ならすぐに死んでもいいと思っていた。あの世で待っている奴らがいる。そして、そいつらに僕は会いたかった。

 が、しかし。

 今、僕はすぐに死んではいけない状況になった。妻を持ち、子が産まれてくる。まだ多額の生命保険をかける前だ。今死ぬことはできない。

 もっとも、まだ二次検査だから大げさな話でもある。しかし…。

 つーわけで、あさってが二次検査だ。明日は検査食を食べねばならない。グリコの検査食が病院から送られてきた。

朝…かゆ。

昼…ウイダーインゼリー的なもの。間食にビスコ(←マジで入ってる)

夜…ポテトスープのみ。

就寝前に下剤(7時・10時)。

 エー・・・。マジで?で、翌朝、つまり検査日は水のみ。昼の診察なのに。んでもって朝、なぜか座薬を二つも投入である。はぁ…。気が重い。痩せるなぁ、これ。しかも朝座薬入れるなんて、仕事行けねぇよ。午前中は出勤しようかと思っていたんだけど。いやはや。んでもってアナルからバリウム投入でしょ?

…。

 なんてこった。無事なら笑い話で済むんだけど。健康第一よね。

以上!

| | コメント (0)

2007年7月17日 (火)

久々に死んだ人間の夢を見た

 昨夜、Kが夢に出てきた。本当に久しぶりだ。もう二年位出てきていなかったはずだ。本当に久しぶりに夢で会えた。と、言っても昨日は夢とはいえ会話もしていない。夜、何人かで星を眺めていた。階段のようなところだった。綺麗な星空だった。僕は

「Kは星になったんだな…」

 と思い、どれがKの星なのか…といろいろと探していた。すると、階段の下に人影があり、誰かと思ってみるとKだったのだ。Kも星を見ていたのだ。そして、僕が声をかける間もなく、Kは去っていってしまった。だから話はできなかった。

 気がつけば3度目の命日がもうすぐやってくる。結婚したからといって、忘れられるわけでもない。これは嫁に対する裏切りなのかと思うこともあるのだが、僕はKのことを忘れていない。結婚した今でもたまに想い出している。

 Kは何で死んでしまったのかという、自分を納得させる答えは見つかっていないし、それが見つからないってことも分かっている。それでも、それを考えずにはいられないのだ。Kが生きていたらどうなっていたのだろう、と考えることもある。

 夢に出てきたってことは、

「私を忘れないで」

 っていうことでさりげなく出てきたのだろうか。いや、そんなことを言うとプライドの高いKは怒るだろう。そんなことない、と。

 いずれにしても、こうしてたまには夢で出て来て欲しいと思う。浮気でもなんでもない、夢の話だ。

以上!

| | コメント (2)

2007年5月28日 (月)

成仏

 こないだ「オーラの泉」を観ていたら、古賀稔彦が出ていた。その話の中で、古賀稔彦は死んだ人が夢に一度も出てこないといったようなことを話していた。それは「成仏しているから」なのだそうだ。

 死んだ親友はいまだに一度も夢に出てこない。成仏すると出てこないという言葉を信じるなら、3年以上出てこないということは、もう一生出てこないかもしれないということになる。

 Kは最初の頃はたまに出てきてくれていたのだが、いつの頃からさっぱり出てこなくなった。成仏した、ということになるのだろうか・・・。その後、何度か夢で会いたいと思ったが、全く出てこなくなった。

 う~ん・・・。それはそれでいいことなのだろう。成仏できているのならば。

以上!

| | コメント (0)

2007年5月 3日 (木)

高校時代の彼女の手紙

  引越しの準備で部屋の片づけをしていたら、高校時代の彼女からの手紙がゴッソリと出てきた。今ではみんな当然のようにメールなんだろうから、手紙なんて今の若い子は書かないんだろうな。

 僕もマメに返事をだしていたようで、どんなことを書いたのかは全く覚えていないが、当時のことがすごくよく思い出せて、とっても面白かった。周りの恋愛事情やクラスのもめごとなど、いろんなことが思い出された。・・・一部思い出せないことも(笑)。あの頃(高2)は本当に楽しかったなぁ・・・と感傷にひたってしまい、しばらく作業が進まなかった。

 今その手紙を読み返すと、当時の彼女は本当に性格が良かったなぁ・・・といまさらながらに惚れ惚れした。僕の野球を本当に応援してくれており、周りを気遣い、友達を大切にして、挨拶がしっかりとできる、本当に素晴らしい女性だった。

 で、なぜこの記事が「恋愛」でなくて「死生観」のとこにあるか。その手紙に死んでしまった親友の話が沢山出てきたからである。僕と親友がバカをやっていたときのことが沢山書いてあった。楽しんでいたり、窘められたり。この彼女とは卒業前に別れたけど、その後も文通は適度に続き、社会人の1、2年目くらいまで連絡を取っていた。最後に会ったのは、確かミルコが初めて総合の試合をした(対藤田和之)K-1を観に行ったときだ。それからお互いに忙しかったりして、連絡をとらなくなっていったように思う。

 親友が死んだ時、彼女に連絡をしたのだけど、何回か電話をしたのに留守電で、んでもって折り返しの電話をもらえなかった。結局、親友が死んだことを伝えられず、それから一切連絡を取らなくなった。折り返し連絡をくれなかったことが、彼女の何らかの意思表示と感じたからだ。

 高2っていうと1993年か。もう14年も前。未来のことは本当に誰にも分からないわけだ。手紙の中に

「31君は絶対に結婚早そう。私も24くらいで結婚したいなぁ」

 なんて書いてあった。僕は31歳でようやく結婚し、彼女は26歳までは少なくとも独身であった。僕とバカばかりやっていた親友はもうこの世にはいない。

 もう何年も会っていないけど、彼女は元気だろうか。もう結婚してるかな。幸せに暮らしていてくれるといいけど。僕も幸せになりますから。

以上!

| | コメント (0)

2007年4月23日 (月)

誕生日を迎えて

 日付が変って31歳になりました。一瞬リアルにあれ?32歳だっけ?と思ってしまいましたが、31歳です。

 もうここ数年のことですが、毎年同じ気持ちです。

 「特に嬉しくもないが、残念でもない。ただただ、今日まで生きてこれたことに感謝したい」

 といったところです。

 思い返せば二年前、当時片思いしていた今の彼女と誕生日に焼肉を食べに行ったっけ。今日も焼肉を食べに行く約束をしています。土曜日にマイホーム購入をめぐって大モメしまして(ブログに書く気力すらなかった)、気まずいままですが・・・。

 兎にも角にも、いい歳です。仕事もプライベートも、責任ある行動を目指し・・・て行きたいと思います。

以上!

| | コメント (8)

2007年4月 2日 (月)

親友の墓前にて

 彼女を連れて実家に帰った時、親友の墓参りをしてきた。あれからもう4年が経った。帰省するたびに墓参りをして、毎回いろんなことを語ってきた。今回はもちろん結婚の報告をした。毎回毎回、ここへ来ると涙が出そうになる。今回は彼女がいたし、寒かったので長居しなかったが、一人でいたらまたないていたかもしれない。

 彼女が

「昇任試験のお礼をいっておいてね」

 と言い出した。

「何で?」

 と聞くと

「昇任試験の時、何かが憑いているような感じがあったんだよ。オカルトな話だけど」

 と。そうか。でも、だとすればそれは親友ではなく、きっとKだ。あいつとはお互いに早く出世したいといったような話をしていた。同い年だし、生きていれば同じ試験を受けていただろう。あいつは僕なんかよりも頑張り屋で、頭も良かったから、きっと合格していただろう。明日、共に昇任辞令を受け取っていたことだろう。

 いろんな人のおかげで今がある。明日から新年度。頑張ろう。

以上!

| | コメント (2)

2007年3月30日 (金)

桜と友の命日と

 ここ数日の暖かさで僕の住む街の桜も一気に花開いてきた。もはや見ごろに突入。満開も近い。僕は桜が大好きだ。年に一度、必ず綺麗な花を咲かす。

 毎年のことなのだが、桜が散ると軽く欝っぽくなる。まぁその前提として、桜が咲き始めるとなんだか焦燥感がふつふつと・・・。つまりはテンションがあがってきて

「早く花見をしなければ」

 ってことなのだが(笑)

 一方で、桜が咲く時期は親友の命日の時期でもある。日付が変って今日30日はもう4度目の命日である。週末、結婚の報告に今度は僕の実家に彼女を連れて行く。当然墓参りにも行く予定だ。

願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ (西行法師)


 西行法師のこの歌。大好きな歌だ。願わくは、咲き誇る桜の下で春死にたい。二月(旧暦)の満月のころ。この如月の望月ってのはお釈迦様が亡くなったとされる2月15日。んでもってこの方は本当に桜の下で2月の16日に亡くなったって言うんだからスゴイよね。僕もそうありたいものです。

 

 さ、花見の予定を立てねば。

以上!

| | コメント (0)

2007年3月20日 (火)

流れ行く時間

 ちょうど一年前、今の彼女を含めて10人くらいで二泊で蔵王にスノボに行った。今日、彼女とその時の話をしていて、お互いに

「一年後に二人がこうなってるなんて、思ってもいなかった」

 と言った。

 そう、一年後どころか、明日のことすら誰にもわからない。それが人生だ。今の彼女には二年前の今頃、僕から告白している。その時は保留されて、数ヵ月後に結局僕から身を引いている。当時の僕と、今の僕を比較して、彼女が盛んに言うのだ。

「去年くらいから31は顔が変ったんだよ。優しい顔になった。出会った頃は険しい顔をしていたよ。きっと、親友や好きだった子が死んじゃって、険しい顔だったんだね」

 と。

 自分では表情の変化なんて分かるはずもない。ただ、確かに今の彼女と初めて会ったのは、Kが死んでしまってから2ヶ月たっていなかったくらいの時期だ。まだまだ失意のどん底にいて、Kが僕の部屋に残していった遺品をお寺で供養してもらったり、消防士になろうと本気で考えていた頃だった。

 Kに半分冗談で良く結婚を申し込んでいたときに、Kが笑って流していつもこう言っていた。

「人間は一番好きな人とは結婚できないんだよ」

 と。今、世の中で結婚している人の中には、当然一番好きな人と結婚できた人もいるだろうし、そうではない人もいるだろう。僕は、今までの恋愛に一番とか、二番とか、そういうことを言うつもりはない。事実として言えることは、Kが突然死んでしまって、もう人を好きになることはできないのではないか、と思っていたが違ったこと。Kの死後、初めて好きになった人と、紆余曲折を経て結婚することになったということだ。

 今年ももうすぐ桜が咲き、あと10日すると親友の4回目の命日がやってくる。桜の開花予想のニュースを聞きながら、そのことを思い出し、時の移り変わりをしみじみと感じた。時は止まることなく流れ、人と環境もどんどん変っていくものだ。変らないのは、僕にとって大切な人が死んでしまったという過去。

 今年も桜の季節がやって来るねぇ。

以上!

| | コメント (2)

2007年1月15日 (月)

死んだ女の歳を数える

 またこの日がやってきた。1月15日、旧成人の日。今日はKの誕生日だ。生きていれば今日で30歳。30歳くらいに結婚したいって言ってたっけな・・・。

 Kの誕生日の朝は、彼女と僕の部屋で迎えた。Kが寝たベッドに今は彼女が僕と寝ている。あの時と同じように、僕の服を着て。

 Kの誕生日の記憶は、僕が花束を贈った27歳の時で止まっている。もう30歳か・・・。当たり前だが、同い年だった僕たちの歳の差はどんどん広がって行く。あと3ヶ月もすれば僕は31歳になる。27歳で止まってしまったKの人生。僕は順調に?歳を重ねている。

 今の彼女の事は心底愛している。Kの事は、未練があるわけではない。未練とは違う。それでも忘れられない。忘れられないと言っても、男女間の恋愛にある「忘れられない」とは違う。上手く言えないのだが。

 8月5日とともに、1月15日という日の意味を僕は一生忘れることがないのかもしれない。

 K、誕生日おめでとう。三十路の世界へようこそ。

以上!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月28日 (木)

消せないメール

 明日で、というかもう日付変わってんだけど、とにかく仕事納め。彼女も仕事納めなんで、明日の夜から30日の夜まで一緒に過ごす予定。で、30日の夜は学生時代のバイト仲間と忘年会が上野であって、そのあとに帰省する。で、大晦日と元旦を実家で過ごして2日に戻ってきてまた彼女と過ごす、ってのがこの年末年始の予定。

 まぁ前の彼女と今の彼女と、今年は2人とお付き合いする事が出来たわけだが、セフレではないちゃんとした彼女ができたのは実に4年ぶりで、こういう楽しい年末年始(一人でもそれなりに楽しい事は一杯あったが)は本当に久しぶりなわけである。今、

「幸せか?」

 と聞かれれば、

「幸せだ」

 と迷わず即答する。それでも、依然として携帯に残っているKからのメールは消していない。今の彼女と付き合い始めてから、二度、三度と

「消そうかな」

 と思ったことがあったが、結局消せていない。今の彼女は

「私、携帯なんて絶対に見ないよ」

 と言っているし、別に見られても構わないのだが、見たらいい気持ちはしないだろう。それは分かっているのだが。

 今の彼女は僕とKとのことを知っている。付き合うずっと前に僕から話しているのだ。そして、Kが死んで後、恋愛なんてできないと思っていた僕に、また人を好きになれることを教えてくれたのが今の彼女である。そのことも昨年の春、最初に告白した時に話してある。

 江原啓之のように、霊と交信出来るなら、メールなんて消してしまっても構わない。でも、もはや、僕とKをつなぐものは唯一、この残されたメールである。

 Kが死んでからもうすぐ2年と5ヶ月。死んだ子の歳、じゃないが生きていれば来月あいつも30歳になるはずだった。僕ばかりが歳をとり、人生を刻み続けている。

 こないだのイヴのとき、彼女が

「こんな幸せな日が来るとは思わなかった」

 と言ったが、それは僕もそうだ。Kが死んでしまった直後のあの生き地獄のような日々を考えれば、今は本当に幸せである。

 それでも、まだメールが消せない。全ての過去を捨て去って、今の彼女を幸せにしてやるべきなのだろうけど。もちろん、今一番愛しているのは彼女なんだけれど、そういうのとは違った存在として、Kの存在が僕の心には残っている。

 夢にくらいたまに出てきたっていいのにな。もう夢にも1年以上出てきてくれていない。決して僕は忘れていないんだけれど。

 3年前の仕事納めの日、駅までの道のりを一緒に歩いた事を、今でも鮮明に思い出せる。

 いつかは消すだろう。いい加減機種変更、って話もある。とりあえず、今はまだメールは消せないのだ。ダメ人間、弱い人間だよ、ホント。

以上!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

自殺の連鎖に思う

 自殺の連鎖が止まらない。こういったことは、ままある。不謹慎な言い方だが、言わば今は「いじめ自殺ブーム」だ。つい1、2年前にあったのは「練炭自殺ブーム」である。マスコミの報道が自殺を助長させている。これは疑いようのない事実だ。報道関係者は真剣にこのことを考えた方がいい。これ以上センセーショナルに報道するのをやめろ。

 文部科学省に「自殺します」という手紙が届く。真似する奴が増える。しまいにゃ、学校に嘘の自殺予告メールを送って逮捕されたバカまで出てくる。こういう奴はむしろ死んだ方がいいけど。まったくどうしようもねぇ。

 僕はどんな理由であれ、自殺は許されないと思っている。そういう自分もたった一度だけ、電車に飛び込もうとしたことがあったけどな。電車に飛び込むなんてのは自殺の中でも最低最悪ランクだ。残された遺族に莫大な負債を残す。

 方法論の話ではない。自殺は許されない。 

 この世に命を授かったからには、生きなければならない。生きたいと願っても死んでしまう人もいる。そういう人に対して失礼だ。

「誰にも迷惑をかけない」

 とかいう奴がいるが、そんな自殺はないと断言する。死体を発見する人がいる。片付ける人がいる。迷惑千万だろうが。それから残された家族にも大きな傷跡を残す。死のうとしている人間にも

「生きていて欲しい」

 と思っている人がいる。そういう人の事を考えて思いとどまれ。

「貴方が虚しく生きた今日は、昨日死んでいった誰かがあれほど生きたいと願った明日」

 僕はぶっちゃけた話、韓国はあんまり好きじゃないが、韓国映画の中の1フレーズだというこの言葉は好きだ。

 何の落ち度もなく突然命を奪われた、親友と心底惚れぬいた女。ガンと戦っている前の係の係長。そして、一昨日、前の部の部長が、大腸ガンで入院したという話を聞いた。

 僕には、生きて欲しい人がいる。生きていて欲しかった人がいる。自殺をしようと考えている人は、自分にも「生きていて欲しい」と思っている人がいることを知った方がいい。考えた方がいい。

以上!

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年11月 8日 (水)

30年後

 人事課から年末調整用の書類を出すように言われて、生命保険やら傷害保険やら個人年金やらの控除証明書を見ていた。で、個人年金の控除証明にふと目をやると、支払い開始が2036年となっていた。

 ちょうど30年か・・・。

 普段生活していると、そんな先のことを考えることはないのだが、今自分が30歳であることを考えると、当たり前だがちょうどその倍の歳であり、今まで生きてきた分、これから先生きると僕は年金をもらえる歳になるわけだ。

 ま、公的年金は僕らの頃は全く期待できないだけに、わずかばかりの個人年金と、もしかしたらその頃は定年も60以上かななどと思ったわけだが。

 僕の生命線は長い。今付き合っている彼女の生命線は僕よりももっと長い。歳は僕よりも3つ上だが、僕よりも長生きするのかもしれない。そんな彼女が言っていた。

「人はこの世での役目を終えたとき、死んで行くって言うよね・・・。私なんか全然役目がないから長生きすんだよ、きっと」

 長生きしてもらわにゃ困るんだよ、お前には。30年後も一緒にいられたら、と思ってるよ。ホントに。

以上!

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2006年10月21日 (土)

時間

 一昨日のこと。仕事中にKの上司だった女課長から突然内線電話がかかってきた。先月、道後温泉に行ったとき、僕は手紙を書いたのだった。親友が死に、好きだった人が死に、僕もたった一度だけ、ホンの一瞬だけ死を選ぼうとしたこと。殉職目指して消防士になろうとしていたこと。そして、二年経って少しずつその生き地獄からの這い上がり途中だってこと。もう課長も悲しまないで欲しい、泣かないで欲しい。Kもそれを望んでいない。こんなことを書いた。手紙の最後には「自分から勝手に手紙を書いておいてなんなのですが、返信等のお気遣い一切不要です」と書いていたので、返事はなかった。

 それ以来の接触。もちろん挨拶とかはしていたけど、話したりすることはなかった。なので、何かな?と思ったら

「この前はありがとうね。さっきね、Kちゃんのお母さんからお電話があって、民事裁判の和解が成立したんですって。貴方にも知らせておこうと思って」

 和解。文字だけをみれば和やかな交渉のイメージがあるが、実際はそんなことあるはずもない。いったいいくらで和解になったのか、そんなこと知る由もないが、いくら積まれてもKは戻ってこない。ご両親もさぞつらかったろう。娘の命の値段を決め、裁判を終らなさねばならないのだから。刑事のほうは、信号無視だけなので業務上過失致死。危険運転致死傷罪と違って加害者は5年で出てくる。たった5年で。

 こないだ、相方とTDLに行った。TDSの方は三重に住んでる前の会社の同僚が家族で上京してきた時に案内をしに去年行ったけれど、TDLの方は、3年前にまさに同じハロウィンの時にKと行って以来だった。この2年、避けていたと言っていい。

 相方には関係のないことだから、いつものように一緒の時間を楽しく過ごすよう努力したし、実際楽しかった。でも、思い出すなという方が無理だし、そんなことできるわけもなく、同じ場所で写真を撮ったり、パレードを見たりするにつけ、時間は確かに動いているんだと実感した。思い出というのはそこで止まってしまっても、時間が止まることはない。死んでしまった人間が生き返ることはない。僕は今の時代を、自分の人生を生きていくしかないんだと改めて感じた一日だった。

 裁判が終っても、終らないものが多すぎる。

以上!

| | コメント (0) | トラックバック (0)